大学院時代に、アジア演劇論という授業を取っていた。その先生は長年シンガポールで、日本との国際交流プログラムを担当していたそうだ。授業の中で、オン・ケンセンのような演出家や、初代首相であるリー・クアンユーについて触れ、マレー半島の先端にある小国が持つ建国のヒリヒリ感をわずかに感じたのが、約1年前のこと。
グローバルな存在感を示すために、経済、文化、人のあらゆる側面で合理化を推し進めたこの国に実際に足を運んだら、私はどう感じるだろう?
興味を持つきっかけとなった演劇も一つは見たかったけどタイミング悪く見られず。
歴史や文化に興味があるとはいえ、初のシンガポール。
旅程はこちらの画像をご覧ください。3泊4日のモデルコースにするには、少し動き回りすぎかも。

集合住宅だらけ
シンガポール、とにかく集合住宅が多い。
国民の約9割が、このHDB(Housing Development Board)と呼ばれる政府の団地に住んでいる。
この国には大きく4つの民族が暮らしていて、最も多い華人(中華系)、そしてマレー人、インド系、アラブ系、など。さまざまな国の人がさまざまに目的を持って集まるこの経済大国では、1960年代には住宅環境が最悪になっており、それを整備するためにこの集合住宅文化が生まれていったらしい。
空港から都市部に出るMRTに乗っていると、大量の集合住宅が林立する景色が続く。この集合住宅は、上から見ると大きく番号が振られていたりして、刑務所みたいだと思う。

私たちが泊まったホテルは、中心部からはバスで20分ほど離れた場所にあった。
最寄駅を降りると、インド系の作業員が道路を大量の水で清掃している姿が目に飛び込む。綺麗好き国家は、ただの車道も掃除するのか。

ホテルの近くは、ベンツやBYDのようなカーディーラーのでかい店舗が軒を連ねるほか、IKEAなども立ち並ぶ、つまりロードサイド的な郊外の場所だった。近所のホーカーズ(屋台村)に朝食を食べに行ってみると、現金しか取り扱いがなく、何も買うことができなかった。とても観光地と呼べる場所ではなく、本当に「地元」というような人が歩いている。
このエリアは特に華人が多く、夜になると、蝋燭や果物を道路に並べたり、何かを焼却炉で焼いたりする光景も見られた。私たちが訪れた8月中旬は、シンガポールの建国記念日ウィークであると同時に、中国の中元節でもあったらしい。

ホーカーズで働くのは華人、工事現場で働くのはインド人、アラブ人はアラブストリートでしか出会ってない?
マレー人は、私が見分けがついていないかもしれない。
でも、全然リッチそうな人が見当たらない。
シンガポール、思っていたより地味?
いや、これがシンガポールなのか、と思い直す。
これがシンガポール
私がいわゆるシンガポールのキラキラ感に立ち会うのは、2日目の夜になってからのことだった。その日はマリーナ・ベイサンズの噴水ショーでも観に行こうか、と夜になってからバスに乗って向かった。
ショッピングモールに入ると、世界中のハイブランド、カジノ、そしてベネチアを模したような人工の河と、その中をゴンドラが優雅に下っていく。TWGにはアフタヌーンティーをギチギチの席で嗜む人々と、その周りに行列を作る人たち。
良かった、シンガポールがあった、と思ったが、同時に、全然シンガポールではない。
というかここだけが観光本に出てくる「シンガポール」すぎる。
私がホテルの周りで見たシンガポールは、どこにも載っていなかった。
彼らが切り捨てるもの
建国してわずか60年の若い国。
マレー半島の他の国と決別し、自分たちの力だけで生きていくと涙ながらに決めた初代首相が作ったこの国は、多くのことを切り捨てながら、合理的に発展してきた。
https://youtu.be/Idd8BK0MamA?si=m3QPrJybgM770Gj3
その中には、集合住宅のような「住む自由」もあれば、キラキラしたイメージのもとに周縁化された地元の人々もいるし、さらに言えば、負の歴史ですらも、切り捨てられているだろう。
私は初めての国に行くと、まず歴史を知っておこうと思い、国立博物館に足を運ぶ。
そこでは、その国が持つ戦争の歴史、特にアジアの国の場合の多くは日本に侵略された過去が語られている。そのことを知ろうともせずに、ゲストのように、加害者である日本人がもてなされるがままに楽しんで日本に帰っていく、というのは、愚かというか、私としては恥ずかしい。
今回も例の通りシンガポールの国立博物館を訪れたのだが、イマーシブなんとか、とか言って、シンガポールには太古の昔に豊かな原生林があったとか、港町として栄えてきた、とかそんなのばっかりで、戦争の「せ」の字も書いていなかった。

拍子抜けしてしまうというか、そんな綺麗事ばかり言われても、と思ったが、これはあえてこうしているのかもしれない。
旧フォード工場
このままでは帰れないと思い、最終日に「Former Ford Factory」へ向かった。
中心部からはバスで50分ほどかかるので、よほど行こうと思わない限り行けない場所にあるが、ここは国立アーカイブが運営する施設で、シンガポールが戦争当時に日本に侵略された歴史が具体的な資料とともに展示されている。
ちなみに1940年にフォード工場として建てられたものの、すぐに戦争が始まり軍需工場に変えられたので、フォード工場とは名ばかりである。
戦争が進んでいくにつれて激化していく戦況を伝える当時の新聞、日本の占領後は「昭南島」と名前を変えられ、「粛清」と呼ばれる日本軍による大量虐殺や皇民化政策が行われた様子、戦争終結後の自治アイデンティティの回復に至るまで、充実の内容だった。
これが見たかった(と言ったら変だけど)のに、全然出さないのは、政府の方針という以外ないだろう。

もちろん、現代のシンガポールは面白く、楽しい。
ホーカーズは何個も行って、Tigerビールを飲みながら山盛りのサテーを食べたし、ナイトサファリも行ったし、アラブストリートも、リトルインディアも行った。チャイナタウンにあるコンプレックスの3Fで、恐ろしい数の客引きを突破しながらフットマッサージも堪能した。
食事も美味しくて、チキンライスはもちろん、ラクサも、牛肉のフォーも、ケバブも、全部が最高だった。

掴みどころのなさのままに
これだけ違う人々が、これだけ狭い国で文化をごちゃ混ぜにしながら、時にははっきりと境界線を引きながら共生していることが、驚きだった。逆に言うと、これだけ狭い国だからこそ、それができるのかもしれない。だって国の面積が東京都くらいしかない。
南国のような、台湾のような、でもヨーロッパのような。この国の掴みどころのなさに、到着して2日は戸惑ったが、これがシンガポールなんだろう。もちろん一見すると観光大国だけど、一歩踏み込めば、全然違う人たちが、掴みどころのないままに共存している。その掴みどころのなさのままに、最短距離でグローバル対応させながら一つの国として成り立たせるために、極めて合理的な判断を、政策レベルから文化まで、すべてのレイヤーで実行していく。
それがシンガポールの現在の姿なんだろうと思う。

